零の告白

 

 

零は不思議な数だ。無いということが有る、ということを示す数なのだ。人類が意識を持ち始めた頃、人間は数え始めた。羊が1匹2匹3匹、リンゴが1個2個3個と、自然数の発見だ。原初の数は10までだったらしい。指折り数える指が10だからだ。十進法の発見だ。自然巣は人間の数えられる実感に基づいていた。しかし、いつの頃かインドで零の概念が発見されてから、人類の意識は大きく進化した。現代文明を支えるコンピューターの基本原理も、0と1の2進法による高速演算で支えられている。

零という状態が有るという感覚は、同じインドで生まれた仏教思想の「空」という概念にも呼応している。仏教の修業では悟りの境地に達することが目指されている。悟りとは生死を超えることだ。私の意識、その意識を支えている命の源泉を体感すること、とも言える。零とは何も無いという状態ではなく、全ての萌芽が含まれている無の状態とも言える。万物はそこから生まれ、そこへと帰っていく。零点は物質界には存在しない。それは人間のかすかな意識の中に遠い記憶として残されている筈だ。意識そのものもそこから生まれてきたからだ。

私はその零をアーティストとして作ってみたいと思った。物質として存在しないはずの零を見えやすくするために、零にぎりぎりに近い物質を作ることにした。こうして数学的三次関数の頂点が零となる数式を形にして見た。そしてステンレス素材を使って作り得たのは、先端が直径0.8ミリまでだった。その先端の10ミリ程先に、零の場が点としてある筈だ。その零点は確実に存在し、その場を指示することができる。ただ見ることはできない。私は上下一対の数理模型を作り、その上部を宙吊りにした。

18世紀に作られたチャペルの奥に、ひっそりと設置された、その数理模型が向かい合う先端の狭間に零の場がある。目を凝らしてよく見て欲しい、その見えない点を。そこには存在の神秘が宿っている筈だ。

 

- 杉本博司