Polarized Color 044, 2010

Polarized Color 043, 2010

Polarized Color 048, 2010

Polarized Color 045, 2010

 

偏光色

 


(前略)

こうして近現代へと連なる自然科学的な世界の認識方法の基礎が確立され、世界は分析され数値に置き換えることができるようになった。ニュートンの「光学」の出版から100年程経ってから、ニュートン批判の書が思わぬ方向から出版された。ゲーテの「色彩論」である。この論は科学的な認識に対する芸術家の不満を提示した書ともいえる内容である。ゲーテは詩人であり小説家であり戯作家であると同時に、20年もかけて色が人間の眼に与える影響を研究していたのだ。たしかにニュートンによって光りは分光され、屈折率の違いによって七色とされ、人間の眼が感覚中枢を通してそれを色として認知するということが知られた。しかしそれで何が解ったというのだろうか。色は人間の感覚に直接訴えかける。赤色と青色では人間の心に異なった感情をもたらす。色と心の関係は数値化された機械論的な科学では解明できないことをゲーテは主張したのだ。それに光りは闇があってこそ、はじめて知り得るものである。暗黒の宇宙空間を通過中の光りは眼には見えない。たとえば地球を取り巻く大気中の塵に光りが当って、青色だけを反射してはじめて青い空として見えるのだ。私は明けの明星を見ながら闇が群青色へと変わっていくのを毎朝見ながらそのことを実感する。ゲーテは「色彩論」の前書きで述べている。「色彩は光りの行為である、行為であり、受苦である。」私はこの言葉を、光りがその自由を妨げられて何らかの存在と衝突して色として立ち現われる、すなわち衝突が受苦であると解釈した。 

しかし不思議なことに仏教でも「色」とは物質界のことを差す。色即是空の「色」だ。色として見える世界の本質は空であり、空が色として現われたものがこの世である(空即是色)と説く。私もニュートンが名付けたとされる7色、プリズムで分光された鮮やかな色を毎日見ながら疑問に思う。名付けられた色はもちろん確認できる赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、しかし色と色の間にはまた違う色がある。赤から橙へ、黄から緑へ、名付けられない色が色々ある。科学とは世界を名付けることで微細な全体を切り落としてしまうことではないのかと思うことがある。名前さえ付けなければ世界は豊穣で一体なのかもしれない、病名がなければ病気もないように。人の死は大昔はみな自然だった、今は全員病死だ。世界は無限の色に満ちているのに、自然科学は世界を7色にしてしまう。しかし私は捨象されてしまった色の間でこそ世界を実感することができるような気がするのだ。そして科学的な認知が神を必要としなくなった今、そこからこぼれ落ちる世界を掬い取るのがアートの役割ではないかと思うようになった。私は余命幾ばくもないポラロイドフィルムを使って、この色と色の隙間を撮影してみることにした。

闇の宇宙を通過して到来した太陽光は私のプリズムに衝突し受苦し、無限の諧調を持つ色に分光される。その色をより鮮やかに見るために私は特殊な角度微調整機能付の鏡を作った。プリズムからの色光はこの鏡に投影され、再び反射して薄暗い観測室へと導かれる。そこでポラロイドフィルムの色へと還元されるのだ。そしてこの縦長の細長い鏡は、見たい色だけをその鏡に反射させることによって、プリズムの分光を再分光することができる。赤色だけを分光すると赤の中の無限の様々な赤が現われる。特に闇の隣の赤はまたひとしおだ。そして色は常に変化する。太陽が天に昇る軌道に合わせて、プリズムからの色は刻々と変化する。赤に橙が差し黄へと変化するのにはほんの数分しかかからない。私は陽が昇るにつれて鏡の角度を芋虫歯車を手で廻しながら調整し、色面を私の視界内に停め続ける。

私はある朝、不思議なことに気付いた。青だけにした光りの色の帯をじっと見つめていると静かだが沈んだ感動に満たされる。しばらく見つめ続けた後で視線を外して白い壁に視線を移すと、突如として黄色が見えるのだ。この現象もゲーテが色彩論の中で究明しているのだが、人間の眼は同じ色を見続けると、その反対色である補色が視線を移すと同時にほんの数秒間だけ感知されるのだ。このように人間の色覚には補色が大きく関与している。実際には存在しない色も知覚する眼の不思議。あまり世界を注視しすぎると世界は反転してしまうのだ。私はここでまた「色即是空、空即是色」を思い返してしまう。

私は一年以上前に生産され、それが最期の生産となった期限切れのポラロイドフィルムの、最期の在庫を八方手を尽くして買い集めた。ほとんど毎日が晴天の、東京の冬の日々の朝の一時間を、私は色の海の中で過ごした。ニュートンが残してくれた世界の見方、冷たく醒めた眼で自然を数値化して観察する方法。ゲーテの詩人の魂を持って、世界を心の反映として見る、熱い眼をもって自然と対峙する方法。.

私の眼はそのどちらともつかない煮え切らない眼として、写真機の一付属装置として機能しているかのように見える。次に私が生まれてくることがあるとすれば、私は成仏できず輪廻転生の渦に巻き込まれて、人間ではもちろんなく、動物でも昆虫でもなく、植物になって生まれてきたい。名も無く咲いたその花は、だれにも見られず、その色はだれにも名付けられることさえない。

 

- 杉本博司

冷たい眼と熱い眼 「アートの起源」 新潮社 より抜粋